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日本海を知る

にぎわい探検隊 北前船の巻

其の五 敦賀港(福井県敦賀市)

今回は敦賀港です。

1905年に建てられた「赤レンガ倉庫」湊町敦賀の象徴的な建物です。

1905年に建てられた「赤レンガ倉庫」湊町敦賀の象徴的な建物です。

敦賀といえば気比の松原。日本三大松原(他の2つは静岡県三保の松原、佐賀県虹の松原)のひとつとして、白砂青松の海岸線に赤松・黒松が17千本生い茂る景勝地です。

気比の松原

気比の松原

須崎の高燈籠、灯台として毎晩灯がともされました。

須崎の高燈籠、灯台として毎晩灯がともされました。

ではさっそく、北前船関連の報告です。
敦賀港は、北前船が発達する前は大阪、京都への日本海側からの玄関口として荷が集まり、敦賀港からは近畿へ陸送されていました。
加賀藩の西回り航路開発で年貢米の陸揚げは少なくなりましたが、逆に荷の料は増えました。北前船のおかげで北海道からの荷が集まり近江商人たちが敦賀を中継地としてニシンやコンブを取り扱ったようです。ニシンなんかもものすごい量を運んだようです。

移設されたニシン倉(水戸烈士記念館)

移設されたニシン倉(水戸烈士記念館)


当時のニシン倉はほとんど無くなってしまいましたが、今でも残っているものがあります。昭和29年に使わなくなったニシン倉を移設・保存したのですが、他は取り壊されたのになんで残っているかというと、時は幕末。水戸天狗党が尊皇攘夷をかかげ京都を目指して敦賀まで来たのですが、ここで捕まり353人が十六棟のニシン倉に押し込められ、最後には海岸で353人の首を切ったのだそうです。この蔵は今は「水戸烈士記念館」なっています。けっこう大きな蔵です。これが十六棟だとものすごい量のニシンが運び込まれたことになります。なお、ニシンは食料の他は主に肥料として運ばれたようです。腐らないのかなぁーと思ったら、ニシンは干したりぬか漬けにして運んだようです。
ちなみにニシンは漢字で「鯡」と書き、魚に非ず(あらず)と読めます。魚として食べるのではなく肥料としての利用が多かったからのようです。(ちなみに、おせち料理によく入っている「数の子」はニシンの卵ですね、ものすごい「数」の卵が取れたのでしょう)

次は氣比神宮。正面の鳥居はこれまた木造としては日本三大鳥居の一つ(他の二つは奈良の春日大社と広島の厳島神社)で、佐渡ガ島から運ばれた巨木を使っているそうです。氣比神宮は仲哀天皇をはじめとして七柱のご祭神をまつっています。(いたるとこるに菊の紋章があり)海上の安全祈願の絵馬もありました。

気比神社の鳥居

氣比神宮の鳥居

いたるところに菊のご紋があります

いたるところに菊のご紋があります

最後に、「ヤマトタカハシ昆布館」へ。北前船で運ばれたものに昆布があります。北海道から運ばれた昆布は西日本に「ダシ」の食文化を作りました。私の実家は富山県ですが、富山ではかまぼこに昆布を巻いものがありますし、昆布でしめた刺身(昆布じめといいます)もありました。(どれも昆布のダシが効いていておいしいですよ、昆布の特集はまたの機会にいたします)ここではおぼろ昆布やとろろ昆布を作っているところも見学できます。

いろんな昆布があります。(売ってます)

いろんな昆布があります。(売ってます)

おぼろ昆布を作っていました

おぼろ昆布を作っていました


昆布に関するいろいろなことがわかります。

ここで美味しいものを発見。「昆布ソフトクリーム」です。昆布のとろみがソフトクリームにマッチして(ダシも効いていて)とても美味でした。ぜひお試しください。

見た目は抹茶アイスにそっくりな昆布ソフトクリーム、とろみが最高!

見た目は抹茶アイスにそっくりな昆布ソフトクリーム、
とろみが最高!

昆布茶は飲み放題!

昆布茶は飲み放題!

次回は「橋立港」の予定です。

2005.9.1 (by 隊長)