加賀海岸 加佐ノ岬と灯台
今回は橋立港です。今では小さな漁港ですが、北前船の時代には「日本一の富豪村」といわれたのが、瀬越とそしてこの橋立です。
橋立港の内港
外港
橋立はかつての大聖寺藩の港でした。大聖寺藩は加賀藩百万石の分家ということもあり、格式にこだわり出費が多く藩の財政は非常に厳しいものだったようで、そんななか献金をしたのは北前船長者たち。1万両も献金したものもいました。また幕末の頃には黒船来航(1853年、嘉永六年)で軍備増強のために、さらに何千両もの献金をさせてられています。
橋立の赤瓦の町並み
石畳と塀
また、橋立の町並みを歩くと赤瓦の屋根の立派な家が多くあります。赤瓦は加賀能登地方で多く、この瓦は黒瓦より古い製法のもので、十八世紀末に遠方よりその製法が伝わったようです。その中でも特に集中しているのがこの橋立の集落です。
要するに、その当時はかやぶき屋根の家が普通でしたが、橋立は北前船のお陰でお金があったので、多くの家が当時の流行の赤瓦屋根で建てられたというわけです。
大きな梁
石垣
赤瓦、舟板を利用した外壁(船食い虫で穴が開いている)、太いはり、石垣を組んで土を持った上に立派な屋敷と石畳の町並み。この町並みは加賀市の歴史的景観整備区域に指定され保存と整備が進められています。
そして「北前船の里 資料館」へ。
ここは船主酒谷長平の屋敷でとても広く資料も豊富でした。(しかしここ橋立ではもっと大きな屋敷がまだたくさんあったようです)
北前船(千石船・弁才船、寄港地等)の説明パネルや北前船の模型、船で使った道具(船箪笥、船仏壇、船中金庫、遠めがね、和磁石、等々)、数々の絵馬、明治時代の写真(函館港・敦賀港・酒田港の写真もありました)、皇太子様が来館の時の写真もありました。数多くの資料が母屋だけでなく蔵まで開放し、所狭しと置いてありました。とにかくすごい量と質です。
「北前船の里 資料館」入り口
資料館の模型
ふすまに墨絵が書いてあります
千石船(弁才船)の内部構造
遠めがね、燭台、船中硯、和磁石
多くの絵馬
千石船の模型
船仏壇
次は、「蔵六園」です。蔵六とは亀のことです。(手足と頭としっぽ「六」が甲羅の中「蔵」に入ることから。ここに亀にそっくりな石があり、そう呼ばれるようになったそうです。)
ここには全国各地の銘石が集められ庭園になっています。また資料は前田家ゆかりのものも多くありました。
「蔵六園」入り口
蔵六園の由来
中庭
銘石の数々(私は価値がわかっていません)
殿様?の駕籠(説明が欲しいです)と海亀のはく製
武者人形
いやー兎に角、「橋立」は北前船の資料がものすごい量あり、ここの資料を説明するだけで1冊の本が出来ます。まだ「出水神社」や「瀬越」「塩屋港」のことも載せたかったのですが、残念ながら今回の報告はこれまでとします。興味のある方はぜひ「橋立」に立ち寄ってみてください。ちなみに宿は「北前船の宿」をお薦めします。
(http://www.kagaworld.or.jp/kigyou/kitamae/index.htm 、一軒家を貸しきりです。ちなみに隊長は一人で泊まりました。もったいないことです。)
圧倒されっぱなしの探検隊でした。
2005.10.1 (by 隊長)