HOME > 日本海を知る > 北前船 > 其の壱拾 舞鶴港

朝もやに浮かぶ舞鶴クレインブリッジ
「にぎわい探検隊 北前船の巻」も、ついに10回目!今回は舞鶴港です。
舞鶴港は若狭湾に湾口を開いた舞鶴湾にあり、湾口には天然の防波堤となる周囲2kmの戸島が位置し、古くから天然の良港でした。また舞鶴港には西港と東港があり、西港は城下町として、また北前船で古くから栄え、東港の開発は明治以降と比較的新しく海軍港として栄えたようです。(現在は海上自衛隊の施設があります)

赤れんが博物館(オモテ)

(ウラ)こういった赤レンガ倉庫が
国道沿いにもたくさん残っています。
東港には赤レンガの建物が多くあり、国道沿いだけでも赤レンガの建物が多数見られます。写真は戦前に軍の魚雷などの武器倉庫だった「赤れんが博物館」です。四大文明のころのレンガを初めとして、世界の貴重なレンガや建造物の歴史・エピソードなど、映像や模型でわかりやすく紹介されています。
また、現在は海上自衛隊の港として護衛鑑?などもたくさん係留していました。(さすがに警備は厳重でした)

海上自衛隊の船(何の船かわかりません・・・)

あんまり近寄れません・・・
さらに終戦時には引き揚げ港として、13年間で66万人もの引揚者と1.6万柱の遺骨を受け入れました。東港の高台には「舞鶴引揚記念館」が建っています。戦後の歌「岸壁の母」のモデルとなった港としても知られています。引揚者が祖国の土を踏む第一歩をしるした平引揚桟橋も記念館近くに復元されています。

カリヨン
終戦50周年に設置、四季に応じた曲を奏でます

記念館前の銅像
西港には古い町並みが残っており、市内の中心部を流れる高野川のほとりには古い倉庫跡が残っています。

高野川のほとり、古い町並みが残っています
また、東港の近く、大浦半島には大丹生(おおうに)湾があり、北前船の風待ち港だったそうです。(写真無しです・・・)
真面目に終わってしまいました・・・(北前船ネタが少なくてスイマセン)
次回は境港です。
2005.11.15 (by 隊長)