HOME > 日本海を知る > 北前船 > 其の壱拾七 萩港
白塗りの壁が歴史を感じさせます
今回は萩です。萩市は明治維新の雄、薩長土肥の一つ長州藩のお城があった場所で、城下町として今も歴史を感じさせる建物が数多く残っています。前回「下関港」で紹介した「高杉晋作」の生家を初めとして、(有名なところでは)伊藤博文、木戸孝允(桂小五郎)の生家なども数多く残っています。(高杉家と桂家はご近所どうしでした)
高杉晋作の生家
高杉晋作のパネル
木戸孝允の生家
伊藤博文の生家
さらにその維新の志士の学舎「松下村塾」、そこの先生であった「吉田松蔭」が奉られている「松陰神社」。「明治維新胎動之地」の石碑はカッコイイですよ。
松蔭神社(神様になってます)
松陰神社内の「明治維新胎動之地」の碑
松下村塾、(思ったより)小さいです
松下村塾の講義室、八畳間です(狭いです)
では、北前船の話です。浜崎港は長州藩から交易を交易されており、江戸前期の頃は北前船も寄港し繁栄したようです。しかし北前船が大型化するにしたがって、水深の浅い浜崎は敬遠されるようになり、また北前船がまだ小さい頃は沿岸部を這うように進んでいたものが、大型化により日本海を一足飛びに行けるようになってきたため、下関を寄港した北前船は浜崎港を飛ばしてしまうようになったということです。
江戸後期には、千石船が主流となった北前船は、日本海を下関→隠岐→能登と一気に北の海に向かうようになり、浜崎港のような御用米が主流の湊や小さな湊は徐々に北前船から敬遠されていくのでした。(スイマセン、北前船関係の写真無しです。スイマセン!!)
次回は、能登半島の輪島からの予定です。
2006.3.1 (by 隊長)