HOME > 日本海を知る > 北前船 > 其の弐拾 久美浜
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蛭子神社、千石船の模型がありました(蛭子とは恵比寿様のことです)
今回は、平成16年4月1日に峰山町、大宮町、網野町、丹後町、弥栄町、久美浜町の六町が合併して出来た京丹後市からです。京丹後市の旧久美浜町には「小天橋」があります。長い砂嘴(さし)が久美浜湾と外海を分けており、天橋立に似ていることからついた呼び名です。
その砂嘴の先端に蛭子神社があり、千石船三社丸の模型が展示してありました。
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蛭子神社
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千石船 三社丸の説明書き
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千石船の由来
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千石船の模型、よく見えません・・・
(ガラス張りで撮影失敗しました・・・)
天正の時代から「五軒家」とよばれた回船問屋(木下、本小西、浜小西、下家、新家)が、ここよりさらに北の旭港を拠点として外国との貿易で盛威を振るい、鎖国後は国内貿易(北海道〜大阪)でさらに繁栄したとのこと。海外貿易より国内(北前船)が儲かる時代だったのですね。この千石船は寛政7年(寛政11年?どっちかわからない?)に奉納したものだとか。この三社丸は千四百石の模型として作られています。
また、ここ久美浜は天領のころ代官所があり領内の米は港から運ばれたそうですが、久美浜は湾口が狭いので、さらに沖の旭港から積み出されました。旭はこの久美浜からは山越え一本道の行き止まりにあります。いまは小さな漁港という感じでした。とても暑い日だったので、泳ぎたかった・・・。時間が無くて(道に迷ったので・・・)きれいな海に横目で見つつ、次の目的地に向かったのでした。
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きれいな海でした
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久見浜湾、カキ棚が見えます
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2006.4.15 (by 隊長)